2010年12月14日火曜日
さようならマエストロ~エンリケ・モレンテ逝く
カンテフラメンコの偉大なマエストロ、エンリケ・モレンテが、本日12月13日午後5時、マドリードのラ・ルス病院にて亡くなりました。
12月4日に行った潰瘍の手術後昏睡状態となり、そのまま亡くなりました。 また一つフラメンコの星が私たちのもとを去ってしまいました。
エンリケ・モレンテ・コテーロは1942年12月25日グラナダに生まれ、10代でマドリードに移住し、カンタオールとしてのキャリアをスタートしました。
50年以上にわたってフラメンコに貢献した偉大なマエストロ。カンテの伝統に自身の開けた感性を加え、フラメンコのピカソの異名をとる革新者でした。アルカンヘル、ミゲル・ポベダ、マイテ・マルテインなど、現代カンタオール、カンタオーラの多くが影響を受けています。
モレンテの名を継ぐ長女エストレージャはカンテ界のスターとして活躍。次女ソレアはバイレ・カンテ、末っ子のエンリケはエンリケ・モレンテ2世としてギター・カンテで活動しています。
忘年67歳。
ご冥福をお祈りいたします。
foto por Keiko Higashi
2010年11月26日金曜日
さようならマリオ~ヌエボ・フラメンコの父逝く
“ヌエボ・フラメンコ”の生みの親マリオ・パチェコが、本日11月26日マドリードにて、長年の闘病生活の末亡くなりました。
マリオ・パチェコは1950年マドリードに生まれ、82年に設立したレコードレーベル『ヌエボス・メディオス』を通し、フラメンコとジャズのジャンルで、スペインの音楽業界に大きな軌跡を残しました。
フラメンコでは、彼が提唱した“ヌエボ・フラメンコ”によって、ケタマ、ホセ・エル・フランセス、ライ・エレディアなど、その代表となるアーティストが生まれ、また、トマティート、ディエゴ・カラスコ、ポティート、ぺぺ・アビチュエラ、ホルへ・パルド、ディエゴ・アマドールなど、数多くのアーティストが彼の元で作品を発表しました。本物の何かを見つけ、それを人々に与えることのできる数少ないプロデューサーの一人でした。
マリオは写真家としても活躍しており、CDのカバー写真など、数多くの作品を残しています。中でも有名なのは、カマロンのCD『ラ・レジェンダ・デル・テイエンポ』のカバーなど。スペインのインディー・レーベル団体のディレクターも勤めていました。
私は個人的なお付き合いはありませんでしたが、見かければ必ず挨拶をしてくれる気持ちの良い人で、マリオはフラメンコ界の、今では残り少なくなった昔ながらの“顔”の一人でした。
数年前、マリオから直接頂いたホセ・エル・フランセスのCDライナーの仕事は、とても思い出深いものの一つです。一生懸命CDを聴いて、あれこれ書き直して提出して、マリオに「これは君にしか書けない文章だね」といって喜んでいただいたときは本当に嬉しかったです。
一週間ほど前、私の夫がたまたま仕事の用事で彼の携帯に電話をしました。彼と話すのは半年振りぐらいだったのですが、その声の弱弱しさがとても気になりました。私たちは病状のことは、何も知らなかったのです。そして彼も何も言わず、いつもの通りのきちんとした対応でした。今週に入ってヌエボス・メディオスの別の担当者と話をしたら、マリオが電話に出たことをとても驚いていて、そこから、彼の深刻な病状が初めて読み取れました。そしてそれが、私たちのマリオとの最後の会話となってしまいました。
忘年60歳。上品な物腰。金髪に青い目。いたずらっ子のような笑顔。安らかに。
2010年11月24日水曜日
アルカンヘル・パストーラのまったりな関係
スペインでだって超マイナーなフラメンコ。それでもいっぱしにビデオクリップなんてものが存在する。
ビデオクリップというのはCDの宣伝のためにレコード会社が大枚はたいて製作するものだが、フラメンコのビデオクリップなんて、作ってもなぜか、テレビにもどこにもその映像は出てこなかったりする。そのうちCDも廃盤になったりして、だれもその存在を目にしないまま、ひっそりお蔵入りしてしまうのが常であった。
それが昨今のユーチューブの怒涛の普及で、お蔵の中からぽつぽつ日の目を見始めた。
そこで今回は、私のお気に入りを一つご紹介しようと思う。アルカンヘルのCD『ロパビエハ』(06)のシングル『ティタ・マリア』のビデオクリップだ。
椅子に座って歌うアルカンヘルに、パストーラ・ガルバンのバイレが絡むという、シンプル極まりないこのビデオ。なんか、妙にまったりした食感で、見終わってもその味が脳裏にあとを引くのだ。
あの、アルカンヘルの変に潤んだ目つき。ちょっと気恥ずかしい今風の衣裳。ばっちりセットした髪。リズムに乗って恥ずかしげに動く感じが、まったり。
美人なのかそうでないのか良く判らないパストーラの、糸を引くようなモチモチした踊り。かっこう悪いのに、妙にセクシーで、またまたまったり。
カステラの中央がとろとろになってる“半熟カステラ”というのがあるらしいが、私は食べたことないけど、このビデオの食感はきっとそんな感じだ。
納豆だと、ちょっとイメージ悪いかなあ。でも私は納豆好きだから、それでもOKだ。
スペインで、食べたい日本食はと聞かれて納豆と答える私の、お勧めビデオであった。
ビデオクリップというのはCDの宣伝のためにレコード会社が大枚はたいて製作するものだが、フラメンコのビデオクリップなんて、作ってもなぜか、テレビにもどこにもその映像は出てこなかったりする。そのうちCDも廃盤になったりして、だれもその存在を目にしないまま、ひっそりお蔵入りしてしまうのが常であった。
それが昨今のユーチューブの怒涛の普及で、お蔵の中からぽつぽつ日の目を見始めた。
そこで今回は、私のお気に入りを一つご紹介しようと思う。アルカンヘルのCD『ロパビエハ』(06)のシングル『ティタ・マリア』のビデオクリップだ。
椅子に座って歌うアルカンヘルに、パストーラ・ガルバンのバイレが絡むという、シンプル極まりないこのビデオ。なんか、妙にまったりした食感で、見終わってもその味が脳裏にあとを引くのだ。
あの、アルカンヘルの変に潤んだ目つき。ちょっと気恥ずかしい今風の衣裳。ばっちりセットした髪。リズムに乗って恥ずかしげに動く感じが、まったり。
美人なのかそうでないのか良く判らないパストーラの、糸を引くようなモチモチした踊り。かっこう悪いのに、妙にセクシーで、またまたまったり。
カステラの中央がとろとろになってる“半熟カステラ”というのがあるらしいが、私は食べたことないけど、このビデオの食感はきっとそんな感じだ。
納豆だと、ちょっとイメージ悪いかなあ。でも私は納豆好きだから、それでもOKだ。
スペインで、食べたい日本食はと聞かれて納豆と答える私の、お勧めビデオであった。
2010年11月8日月曜日
ファルキートのフィエスタ
来年の来日決定で盛り上がるファルキート旋風。
そこでひとつその期待の炎に油を注ぐべく、私のお気に入りの動画をご紹介しましょう!
ジャーナリストで、パコ・デ・ルシアのプロデューサーだったヘスス・キンテロが司会する『ラトネス・コロラオ』というインタビュー番組(2002よりカナル・スール局、その後2007よりテレ・マドリード局にて放映)には、沢山のフラメンコが登場しました。
これはファルキートが出演したときのワンカット。フィエスタの面白さがぎゅううううううっと詰まった名場面です!
男が集まって繰り広げる「真剣な宴会」。
ファルーの力を込めた歌、その周りにこだまする真摯なパルマ。
それに続くファルキートの竜巻のようなパタイータ。
あの短さ、潔さにフラメンコの本質を感じてしまうわたしでした!
はだしで踊る感じもすごくフラメンコ!!!
そこでひとつその期待の炎に油を注ぐべく、私のお気に入りの動画をご紹介しましょう!
ジャーナリストで、パコ・デ・ルシアのプロデューサーだったヘスス・キンテロが司会する『ラトネス・コロラオ』というインタビュー番組(2002よりカナル・スール局、その後2007よりテレ・マドリード局にて放映)には、沢山のフラメンコが登場しました。
これはファルキートが出演したときのワンカット。フィエスタの面白さがぎゅううううううっと詰まった名場面です!
男が集まって繰り広げる「真剣な宴会」。
ファルーの力を込めた歌、その周りにこだまする真摯なパルマ。
それに続くファルキートの竜巻のようなパタイータ。
あの短さ、潔さにフラメンコの本質を感じてしまうわたしでした!
はだしで踊る感じもすごくフラメンコ!!!
2010年10月11日月曜日
パコ・デ・ルシア、王立劇場にて
PACO DE LUCÍA
4. 10. 2010 Teatro Real - Madrid, España
● Paco de Lucía, guitarra
● cante, Duquende, David de Jacoba ● 2ª guitarra, Antonio Sánchez ● baile, Farru ● armónica, Antonio Serrano ● bajo, Alain Pérez ● percusión, Piraña.
4. 10. 2010 Teatro Real - Madrid, España
● Paco de Lucía, guitarra
● cante, Duquende, David de Jacoba ● 2ª guitarra, Antonio Sánchez ● baile, Farru ● armónica, Antonio Serrano ● bajo, Alain Pérez ● percusión, Piraña.
foto promocional
セビージャがじれったそうにパコ・デ・ルシアの10月9日のビエナル閉幕公演を待つあいだ、マドリードは一足お先にその“神業”を拝聴する幸運に恵まれた。
10月4日、王立劇場で行われたこの日のコンサートは、ユネスコが提唱する「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にフラメンコが承認されるよう、そのキャンペーン活動の一環として行われた。よって文化庁関係者や有名人などの招待客が多く、半プライベート・コンサートの色合いが強かったが、チケットは一般にも売り出され、取り合い状態で数日後ソールドアウトとなった。
パコ・ファンだったら王立劇場と聞いて彼の75年に発表されたライブ盤――20代後半のパコのエキサイティングでスリリングなトーケ――を思い出さない人はいないだろう。スペイン一敷居の高い劇場に、竜巻のごとく鳴り響いた爆発的な喝采は驚異的だった。
「“あの感動”を直に味わえる…」
私は即座に胸を高鳴らせた。劇場名だけですっかり舞い上がってしまったのだ。
パコのコンサートは闘牛場や特設会場と、野外が続いたので、劇場の音響で繊細な部分までじっくり聞きたいと願っていたおりだったし、このコンサートホールなら、あのライブ盤を彷彿とさせるソロギターを存分に聴かせてくれるだろうと期待したのだった。
しかし…。
期待むなしく、音響の調子は悪かった。一番がっかりしたのは、2時間以上にも上る長丁場でありながら、ソロに限らず、パコの“出番”が非常に少なかったことだ。
アルバム『コシータス・ブエナス』の楽曲を中心に、『ルシア』、『シルヤブ』、『カンシオン・デ・アモール』、『ラ・バロサ』などの代表曲で盛り上げ、最後は『エントレ・ドス・アグア』でしめる構成はここ数年大体同じだが、パコはメンバーにかなり見せ場を譲った。6月末の夏の野外公演でも同じように感じたが、今回はそれに拍車をかけて弾かなかった気がする。
それには会場の雰囲気もマイナスに働いたと思う。この日はいつものギタリストたちの熱気とは違って、お偉方が、仕事を前提とした社交の目的で観に来ている雰囲気がそこここに漂っていた。パコは、「文化遺産に」と言いながらも、本当はフラメンコにまったく興味無いエリートたちの形だけの「ブラボー」に、すっかり白けているようだった。
だが、彼が一旦弾きだすと、全ては輝いた。彼の指が生み出す一音一音にカリスマが宿る。あのタイミング。あれは刀が振り下ろされ、竹がすっぱり2つに切られるときのタイミング。あの勘。フラメンコの人間だけが持つ、音と空間を操る勘。けれどパコは、私が彼の世界にわーっと引き込まれる度に、弾くのを止めるのである。
そこにすかさずしゃしゃり出てくる他のメンバーたちは、もう邪魔くさくてしょうがなかった。
延々と続くハーモニカとベースのソロ。しかも3曲。プレイもバリエーションに乏しく、すっかり飽きてしまった。
ドゥケンデは素晴らしく、彼が歌うと、パコの全神経がその声に集中するのがわかった。ファルーも持って生まれたセンスの良さで見せた。けれど彼らもちょっと出すぎであった。
メンバーのソロが一曲ずつぐらい減れば、公演として釣り合いが取れるし、30分はカットできる。パコ自身かプロダクションか、どちらのアイデアなのかはわからないが、なぜメンバーの演奏で2時間以上も公演を長引かせるのか理解出来ない。ファンが観たいのは、究極のところ、マエストロだけだ。ギターに集中していれば、本当は1時間の公演だってかまわないだろう。
アンコールのエントレ・ドス・アグアのメロディーをパコが弾いたとき、会場は怒涛のように沸いた。それはヒット曲だからじゃない。観客にとっては余りにも聞きなれた、パコにとっては今まで何千回と弾いたメロディーであっても、その音を弾くと、彼は全く新しい、巨大なアルテを生み出すのだ。だからこそ、パコは“神様”と呼ばれるにふさわしいアーティストであり、その音があるからこそ、私たちは劇場に足を運ぶのである。
あの軽やかなメロデイーに触れて、私の背中にはゾクゾクと歓喜が走った。
セビージャがじれったそうにパコ・デ・ルシアの10月9日のビエナル閉幕公演を待つあいだ、マドリードは一足お先にその“神業”を拝聴する幸運に恵まれた。
10月4日、王立劇場で行われたこの日のコンサートは、ユネスコが提唱する「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にフラメンコが承認されるよう、そのキャンペーン活動の一環として行われた。よって文化庁関係者や有名人などの招待客が多く、半プライベート・コンサートの色合いが強かったが、チケットは一般にも売り出され、取り合い状態で数日後ソールドアウトとなった。
パコ・ファンだったら王立劇場と聞いて彼の75年に発表されたライブ盤――20代後半のパコのエキサイティングでスリリングなトーケ――を思い出さない人はいないだろう。スペイン一敷居の高い劇場に、竜巻のごとく鳴り響いた爆発的な喝采は驚異的だった。
「“あの感動”を直に味わえる…」
私は即座に胸を高鳴らせた。劇場名だけですっかり舞い上がってしまったのだ。
パコのコンサートは闘牛場や特設会場と、野外が続いたので、劇場の音響で繊細な部分までじっくり聞きたいと願っていたおりだったし、このコンサートホールなら、あのライブ盤を彷彿とさせるソロギターを存分に聴かせてくれるだろうと期待したのだった。
しかし…。
期待むなしく、音響の調子は悪かった。一番がっかりしたのは、2時間以上にも上る長丁場でありながら、ソロに限らず、パコの“出番”が非常に少なかったことだ。
アルバム『コシータス・ブエナス』の楽曲を中心に、『ルシア』、『シルヤブ』、『カンシオン・デ・アモール』、『ラ・バロサ』などの代表曲で盛り上げ、最後は『エントレ・ドス・アグア』でしめる構成はここ数年大体同じだが、パコはメンバーにかなり見せ場を譲った。6月末の夏の野外公演でも同じように感じたが、今回はそれに拍車をかけて弾かなかった気がする。
それには会場の雰囲気もマイナスに働いたと思う。この日はいつものギタリストたちの熱気とは違って、お偉方が、仕事を前提とした社交の目的で観に来ている雰囲気がそこここに漂っていた。パコは、「文化遺産に」と言いながらも、本当はフラメンコにまったく興味無いエリートたちの形だけの「ブラボー」に、すっかり白けているようだった。
だが、彼が一旦弾きだすと、全ては輝いた。彼の指が生み出す一音一音にカリスマが宿る。あのタイミング。あれは刀が振り下ろされ、竹がすっぱり2つに切られるときのタイミング。あの勘。フラメンコの人間だけが持つ、音と空間を操る勘。けれどパコは、私が彼の世界にわーっと引き込まれる度に、弾くのを止めるのである。
そこにすかさずしゃしゃり出てくる他のメンバーたちは、もう邪魔くさくてしょうがなかった。
延々と続くハーモニカとベースのソロ。しかも3曲。プレイもバリエーションに乏しく、すっかり飽きてしまった。
ドゥケンデは素晴らしく、彼が歌うと、パコの全神経がその声に集中するのがわかった。ファルーも持って生まれたセンスの良さで見せた。けれど彼らもちょっと出すぎであった。
メンバーのソロが一曲ずつぐらい減れば、公演として釣り合いが取れるし、30分はカットできる。パコ自身かプロダクションか、どちらのアイデアなのかはわからないが、なぜメンバーの演奏で2時間以上も公演を長引かせるのか理解出来ない。ファンが観たいのは、究極のところ、マエストロだけだ。ギターに集中していれば、本当は1時間の公演だってかまわないだろう。
アンコールのエントレ・ドス・アグアのメロディーをパコが弾いたとき、会場は怒涛のように沸いた。それはヒット曲だからじゃない。観客にとっては余りにも聞きなれた、パコにとっては今まで何千回と弾いたメロディーであっても、その音を弾くと、彼は全く新しい、巨大なアルテを生み出すのだ。だからこそ、パコは“神様”と呼ばれるにふさわしいアーティストであり、その音があるからこそ、私たちは劇場に足を運ぶのである。
あの軽やかなメロデイーに触れて、私の背中にはゾクゾクと歓喜が走った。
2010年9月5日日曜日
トゥシューズのソレア
“SOLEÁ PAS DE DEUX”
Corella Ballet Castilla y León
22. 8. 2010 Teatro Lope de Vega, Madrid, España
● Carmen Corella & Ángel Corella, baile ● María Pagés, coreografía ● Rubén Lebaniegos, música. Duración 7’40”.
foto por Rosalie O’Connor – promoción.
マリア・パヘスのソレアを、クラシック・バレエ界のスター、アンヘル・コレージャ(コレーラ)が踊る。期待しない方がおかしい。
まだまだ残暑が厳しい8月22日。その昔“夢見るバレリーナ”だった私はすっかり童心に戻り、つつつ…とつま先立って、踊るように満員の舞踊ファンを掻き分けながら、ほころんだ顔で劇場の波に飲まれていった。
アメリカン・バレエ・シアターの現役プリンシパル・ダンサーとして活躍するアンヘルは、2008年より、現在スペインで唯一のクラシック・バレエ団「カスティージャ・レオン州立コレージャ・バレエ」を主宰する。今回の公演では、8月3日から22日の3週間に渡り3プログラムが上演され、この日の『プログラムIII』では、彩りのまったく違う4作品で観客を楽しませた。
19世紀末に初演された『スィート・デ・ライモンダ』におけるロシア・バレエの正統美。そこに、フランス新幹線TGVにインスパイアーされた『DGV(高速のダンス)』の、若々しい健康的な美が加わり、好対照を見せる。男性4人で踊られた『フォー・4』では、それぞれの踊り手の個性と実力が、舞踊団の華々しい未来を予感させた。
しかし一番会場を沸かせたのは、何を隠そう、マリア・パヘス振付の『ソレア(パ・ド・ドゥ)』であった。
舞踊団の主役アンヘル・コレージャが踊る、しかも姉カルメンと一緒にパ・ド・ドゥを踊るのはこの作品が初めて、そしてここは何と言ってもフラメンコの故郷スペイン…。けれどこの8分弱の短い作品には、これらの“受けて当たり前”のもろもろの要素を越えた、特別な、新しい何かがあった。そしてびっくりするぐらい爆発的な「ブラボー」とともに、観客は総立ちになったのである。
髪をぴったり撫で付け、黒シャツ・ズボンのタブラオ風いでだちのアンヘルに、トゥシューズのカルメンが寄り添う。こげ茶色の照明の中にルベン・レバニエゴスのギターが鳴り響くと、舞台は一気にフラメンコの深遠へと入っていった。
独特の腕と身体の動きに、マリア・パヘスが鮮明に浮かび上がる。フラメンコのコンパスが身体に染み込んだわけではないだろう。だが、アンヘルは踊り手の“勘”で――しかも天才的な踊り手としての――、それを掴んでいく。そしてやっぱりスペイン人、その血の中にある何かが、本能的にフラメンコの臭いを嗅ぎ付ける。陳腐な決まり文句に聞こえるかも知れないが、それは誰にも否定できない真実だった。
カンテに導かれながら、2つの完璧な身体が作り出す線は、自然の営みのように、無駄の無いラインを作る。彼は、まるで清らかな魂を神に捧げるように、彼女を高々と抱え挙げる。そして自由を求め、目にも止まらぬスピードで回り、爆発的なエネルギーで宙を舞う。それらの全てが、フラメンコという一つの特別な世界に、何の違和感も無く馴染んでいるばかりか、さらに新しいアルテの広がりを示した。彼らは力強く訴え、観客はそれに敏感に反応した。
あらゆるジャンルの音楽で、フラメンコ舞踊を踊るマリア・パヘスだが、今回はその逆で、フラメンコの音楽で他ジャンルであるバレエを踊った(彼女自身は踊らないが)。
しかし、それだけなら、他にも例は沢山ある。例えばアンヘルの師匠でありスペイン・バレエ界の大御所ビクトール・ウジャテは、「子供の頃、本当はバレエじゃなくてフラメンコが踊りたかった」というだけあって、『セギリージャ』、『エル・スール』など、フラメンコの音楽を使った作品を数多く提唱している。
だがマリアの焦点は、バレエを踊るのではなく、バレエの動きで“フラメンコを表現する”というところにあった。そこが、他と一線を規すところであり、それ故に、フラメンコにとって大きな意義のある試みとなったと思う。
『ソレア』は、マリア・パヘスの自由な創造が、アンヘル・コレージャという偉大な舞踊性をもつ身体を得て作り出した、フラメンコの新しい可能性。誰も見たことの無い“想像を絶する夢”であった。
(追記)
キューバ出身のダイロン・ベラは、男の色気と気品が混じり合う、パーフェクトな王子様タイプ。日本人バレリーナのオオモリ・カズコも、群を抜く確かな技術で魅せてくれました。コレージャ・バレエを観る機会があったら、彼らにぜひ注目してみてくださいね!
Corella Ballet Castilla y León
22. 8. 2010 Teatro Lope de Vega, Madrid, España
● Carmen Corella & Ángel Corella, baile ● María Pagés, coreografía ● Rubén Lebaniegos, música. Duración 7’40”.
foto por Rosalie O’Connor – promoción.
マリア・パヘスのソレアを、クラシック・バレエ界のスター、アンヘル・コレージャ(コレーラ)が踊る。期待しない方がおかしい。
まだまだ残暑が厳しい8月22日。その昔“夢見るバレリーナ”だった私はすっかり童心に戻り、つつつ…とつま先立って、踊るように満員の舞踊ファンを掻き分けながら、ほころんだ顔で劇場の波に飲まれていった。
アメリカン・バレエ・シアターの現役プリンシパル・ダンサーとして活躍するアンヘルは、2008年より、現在スペインで唯一のクラシック・バレエ団「カスティージャ・レオン州立コレージャ・バレエ」を主宰する。今回の公演では、8月3日から22日の3週間に渡り3プログラムが上演され、この日の『プログラムIII』では、彩りのまったく違う4作品で観客を楽しませた。
19世紀末に初演された『スィート・デ・ライモンダ』におけるロシア・バレエの正統美。そこに、フランス新幹線TGVにインスパイアーされた『DGV(高速のダンス)』の、若々しい健康的な美が加わり、好対照を見せる。男性4人で踊られた『フォー・4』では、それぞれの踊り手の個性と実力が、舞踊団の華々しい未来を予感させた。
しかし一番会場を沸かせたのは、何を隠そう、マリア・パヘス振付の『ソレア(パ・ド・ドゥ)』であった。
舞踊団の主役アンヘル・コレージャが踊る、しかも姉カルメンと一緒にパ・ド・ドゥを踊るのはこの作品が初めて、そしてここは何と言ってもフラメンコの故郷スペイン…。けれどこの8分弱の短い作品には、これらの“受けて当たり前”のもろもろの要素を越えた、特別な、新しい何かがあった。そしてびっくりするぐらい爆発的な「ブラボー」とともに、観客は総立ちになったのである。
髪をぴったり撫で付け、黒シャツ・ズボンのタブラオ風いでだちのアンヘルに、トゥシューズのカルメンが寄り添う。こげ茶色の照明の中にルベン・レバニエゴスのギターが鳴り響くと、舞台は一気にフラメンコの深遠へと入っていった。
独特の腕と身体の動きに、マリア・パヘスが鮮明に浮かび上がる。フラメンコのコンパスが身体に染み込んだわけではないだろう。だが、アンヘルは踊り手の“勘”で――しかも天才的な踊り手としての――、それを掴んでいく。そしてやっぱりスペイン人、その血の中にある何かが、本能的にフラメンコの臭いを嗅ぎ付ける。陳腐な決まり文句に聞こえるかも知れないが、それは誰にも否定できない真実だった。
カンテに導かれながら、2つの完璧な身体が作り出す線は、自然の営みのように、無駄の無いラインを作る。彼は、まるで清らかな魂を神に捧げるように、彼女を高々と抱え挙げる。そして自由を求め、目にも止まらぬスピードで回り、爆発的なエネルギーで宙を舞う。それらの全てが、フラメンコという一つの特別な世界に、何の違和感も無く馴染んでいるばかりか、さらに新しいアルテの広がりを示した。彼らは力強く訴え、観客はそれに敏感に反応した。
あらゆるジャンルの音楽で、フラメンコ舞踊を踊るマリア・パヘスだが、今回はその逆で、フラメンコの音楽で他ジャンルであるバレエを踊った(彼女自身は踊らないが)。
しかし、それだけなら、他にも例は沢山ある。例えばアンヘルの師匠でありスペイン・バレエ界の大御所ビクトール・ウジャテは、「子供の頃、本当はバレエじゃなくてフラメンコが踊りたかった」というだけあって、『セギリージャ』、『エル・スール』など、フラメンコの音楽を使った作品を数多く提唱している。
だがマリアの焦点は、バレエを踊るのではなく、バレエの動きで“フラメンコを表現する”というところにあった。そこが、他と一線を規すところであり、それ故に、フラメンコにとって大きな意義のある試みとなったと思う。
『ソレア』は、マリア・パヘスの自由な創造が、アンヘル・コレージャという偉大な舞踊性をもつ身体を得て作り出した、フラメンコの新しい可能性。誰も見たことの無い“想像を絶する夢”であった。
(追記)
キューバ出身のダイロン・ベラは、男の色気と気品が混じり合う、パーフェクトな王子様タイプ。日本人バレリーナのオオモリ・カズコも、群を抜く確かな技術で魅せてくれました。コレージャ・バレエを観る機会があったら、彼らにぜひ注目してみてくださいね!
2010年8月3日火曜日
ニーニョ・ホセーレの乗るバス
“LOS ALMENDROS - PLAZA NUEVA”
Cortometraje Duración 23’ Año de producción 2000 España
● Álvaro Alonso dirección ● Encarnación Iglesias guión ● José María Heredia “Josele” direccón artística musical ● Javier López dirección artística ● Juan José Heredia “Niño Josele” música
ニーニョ・ホセーレの原稿出筆で資料を探していたとき、「あ、あれあれ、あれがあった!」と拳を叩いて引っ張り出してきたのが、彼が音楽を担当した短編映画『ロス・アルメンドロス-プラサ・ヌエバ』(2000年)だった。
デビューから15年あまりの間に、ホセーレは大活躍を果たした。彼のカンテを包みこむ伴奏は、シガーラの一連のアルバムで。開かれた音楽世界は、ソロアルバムで堪能することができる。けれどこの映画には、彼の原点がある。ホセーレは最後にチラッと出演する。短い演奏だが、それはまさにフラメンコな一瞬だった。
しかも、最高に楽しい映画!フラメンコ映画は数多くあれど、これほどヒターノのフラメンコを、ひととなりを、鮮明にそして自然な形で語った映画は他にないと思う。まったく、一度でいいから乗ってみたい夢のバスなのだ。
アルメリアのヒターノ地区のど真ん中を走り抜けるバスの運転手“パジョのアントニオ”の目を通して、その乗客たち――アルメリアの照りつける太陽を全身に浴びながら、荒野を駆け巡るバリバリのヒターノたち――の人となりを、ユーモアを散りばめながら語っていく。
何百年も共存してきた間柄とはいえ、未だに水と油のように弾けあうパジョとヒターノ。世間一般とはかけ離れた“ヒターノの常識”にとまどうアントニオ――それは、時として私自身でもある――だったが、徐々に“乗客たち”の中にフラメンコな心を見出し、惹かれ、そして愛し愛される“パジョのアントニオ”に変っていく。
年老いたヒターノの叫び。ヒターナたちの人生の賛歌。若い男女が見初め合う瞬間の心の躍動--彼の若々しい敏捷さ、喜びに震える彼女--。そしてアルメリアの土地で生まれ、永遠に止むことのないコンパスが、ニーニョ・ホセーレのギターの音色に乗ってバスを満たしていく。
彼はパルマを叩く弟と微笑みを交わしながら、父、ホセーレの“気”が高まる瞬間を待つ。その指と弦の間からは、時折パチッパチッとチスパがはじける。そして父はゆっくりと、威厳をもって、彼らの溢れる愛に答える。力の限り歌いながら。
そこにはフラメンコを分かち合う喜びが溢れていた。
目頭が熱くなるような家族愛が、3人の心を満たしていた。
そしてホセーレはその時、「キュン」とするような目をしていた。
* 映画はYoutubeなどで観ることができます。探してみてくださいね!
Cortometraje Duración 23’ Año de producción 2000 España
● Álvaro Alonso dirección ● Encarnación Iglesias guión ● José María Heredia “Josele” direccón artística musical ● Javier López dirección artística ● Juan José Heredia “Niño Josele” música
ニーニョ・ホセーレの原稿出筆で資料を探していたとき、「あ、あれあれ、あれがあった!」と拳を叩いて引っ張り出してきたのが、彼が音楽を担当した短編映画『ロス・アルメンドロス-プラサ・ヌエバ』(2000年)だった。
デビューから15年あまりの間に、ホセーレは大活躍を果たした。彼のカンテを包みこむ伴奏は、シガーラの一連のアルバムで。開かれた音楽世界は、ソロアルバムで堪能することができる。けれどこの映画には、彼の原点がある。ホセーレは最後にチラッと出演する。短い演奏だが、それはまさにフラメンコな一瞬だった。
しかも、最高に楽しい映画!フラメンコ映画は数多くあれど、これほどヒターノのフラメンコを、ひととなりを、鮮明にそして自然な形で語った映画は他にないと思う。まったく、一度でいいから乗ってみたい夢のバスなのだ。
アルメリアのヒターノ地区のど真ん中を走り抜けるバスの運転手“パジョのアントニオ”の目を通して、その乗客たち――アルメリアの照りつける太陽を全身に浴びながら、荒野を駆け巡るバリバリのヒターノたち――の人となりを、ユーモアを散りばめながら語っていく。
何百年も共存してきた間柄とはいえ、未だに水と油のように弾けあうパジョとヒターノ。世間一般とはかけ離れた“ヒターノの常識”にとまどうアントニオ――それは、時として私自身でもある――だったが、徐々に“乗客たち”の中にフラメンコな心を見出し、惹かれ、そして愛し愛される“パジョのアントニオ”に変っていく。
年老いたヒターノの叫び。ヒターナたちの人生の賛歌。若い男女が見初め合う瞬間の心の躍動--彼の若々しい敏捷さ、喜びに震える彼女--。そしてアルメリアの土地で生まれ、永遠に止むことのないコンパスが、ニーニョ・ホセーレのギターの音色に乗ってバスを満たしていく。
彼はパルマを叩く弟と微笑みを交わしながら、父、ホセーレの“気”が高まる瞬間を待つ。その指と弦の間からは、時折パチッパチッとチスパがはじける。そして父はゆっくりと、威厳をもって、彼らの溢れる愛に答える。力の限り歌いながら。
そこにはフラメンコを分かち合う喜びが溢れていた。
目頭が熱くなるような家族愛が、3人の心を満たしていた。
そしてホセーレはその時、「キュン」とするような目をしていた。
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