2010年10月11日月曜日

パコ・デ・ルシア、王立劇場にて

PACO DE LUCÍA
4. 10. 2010 Teatro Real - Madrid, España

Paco de Lucía, guitarra
● cante, Duquende, David de Jacoba ● 2ª guitarra, Antonio Sánchez ● baile, Farru ● armónica, Antonio Serrano ● bajo, Alain Pérez ● percusión, Piraña.
foto promocional

 セビージャがじれったそうにパコ・デ・ルシアの10月9日のビエナル閉幕公演を待つあいだ、マドリードは一足お先にその“神業”を拝聴する幸運に恵まれた。

 10月4日、王立劇場で行われたこの日のコンサートは、ユネスコが提唱する「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」にフラメンコが承認されるよう、そのキャンペーン活動の一環として行われた。よって文化庁関係者や有名人などの招待客が多く、半プライベート・コンサートの色合いが強かったが、チケットは一般にも売り出され、取り合い状態で数日後ソールドアウトとなった。

 パコ・ファンだったら王立劇場と聞いて彼の75年に発表されたライブ盤――20代後半のパコのエキサイティングでスリリングなトーケ――を思い出さない人はいないだろう。スペイン一敷居の高い劇場に、竜巻のごとく鳴り響いた爆発的な喝采は驚異的だった。
「“あの感動”を直に味わえる…」
私は即座に胸を高鳴らせた。劇場名だけですっかり舞い上がってしまったのだ。
 
 パコのコンサートは闘牛場や特設会場と、野外が続いたので、劇場の音響で繊細な部分までじっくり聞きたいと願っていたおりだったし、このコンサートホールなら、あのライブ盤を彷彿とさせるソロギターを存分に聴かせてくれるだろうと期待したのだった。

 しかし…。
 期待むなしく、音響の調子は悪かった。一番がっかりしたのは、2時間以上にも上る長丁場でありながら、ソロに限らず、パコの“出番”が非常に少なかったことだ。

 アルバム『コシータス・ブエナス』の楽曲を中心に、『ルシア』、『シルヤブ』、『カンシオン・デ・アモール』、『ラ・バロサ』などの代表曲で盛り上げ、最後は『エントレ・ドス・アグア』でしめる構成はここ数年大体同じだが、パコはメンバーにかなり見せ場を譲った。6月末の夏の野外公演でも同じように感じたが、今回はそれに拍車をかけて弾かなかった気がする。

 それには会場の雰囲気もマイナスに働いたと思う。この日はいつものギタリストたちの熱気とは違って、お偉方が、仕事を前提とした社交の目的で観に来ている雰囲気がそこここに漂っていた。パコは、「文化遺産に」と言いながらも、本当はフラメンコにまったく興味無いエリートたちの形だけの「ブラボー」に、すっかり白けているようだった。

 だが、彼が一旦弾きだすと、全ては輝いた。彼の指が生み出す一音一音にカリスマが宿る。あのタイミング。あれは刀が振り下ろされ、竹がすっぱり2つに切られるときのタイミング。あの勘。フラメンコの人間だけが持つ、音と空間を操る勘。けれどパコは、私が彼の世界にわーっと引き込まれる度に、弾くのを止めるのである。

 そこにすかさずしゃしゃり出てくる他のメンバーたちは、もう邪魔くさくてしょうがなかった。
 延々と続くハーモニカとベースのソロ。しかも3曲。プレイもバリエーションに乏しく、すっかり飽きてしまった。

 ドゥケンデは素晴らしく、彼が歌うと、パコの全神経がその声に集中するのがわかった。ファルーも持って生まれたセンスの良さで見せた。けれど彼らもちょっと出すぎであった。

 メンバーのソロが一曲ずつぐらい減れば、公演として釣り合いが取れるし、30分はカットできる。パコ自身かプロダクションか、どちらのアイデアなのかはわからないが、なぜメンバーの演奏で2時間以上も公演を長引かせるのか理解出来ない。ファンが観たいのは、究極のところ、マエストロだけだ。ギターに集中していれば、本当は1時間の公演だってかまわないだろう。

 アンコールのエントレ・ドス・アグアのメロディーをパコが弾いたとき、会場は怒涛のように沸いた。それはヒット曲だからじゃない。観客にとっては余りにも聞きなれた、パコにとっては今まで何千回と弾いたメロディーであっても、その音を弾くと、彼は全く新しい、巨大なアルテを生み出すのだ。だからこそ、パコは“神様”と呼ばれるにふさわしいアーティストであり、その音があるからこそ、私たちは劇場に足を運ぶのである。
 
 あの軽やかなメロデイーに触れて、私の背中にはゾクゾクと歓喜が走った。