2010年11月26日金曜日

さようならマリオ~ヌエボ・フラメンコの父逝く


“ヌエボ・フラメンコ”の生みの親マリオ・パチェコが、本日11月26日マドリードにて、長年の闘病生活の末亡くなりました。

マリオ・パチェコは1950年マドリードに生まれ、82年に設立したレコードレーベル『ヌエボス・メディオス』を通し、フラメンコとジャズのジャンルで、スペインの音楽業界に大きな軌跡を残しました。

フラメンコでは、彼が提唱した“ヌエボ・フラメンコ”によって、ケタマ、ホセ・エル・フランセス、ライ・エレディアなど、その代表となるアーティストが生まれ、また、トマティート、ディエゴ・カラスコ、ポティート、ぺぺ・アビチュエラ、ホルへ・パルド、ディエゴ・アマドールなど、数多くのアーティストが彼の元で作品を発表しました。本物の何かを見つけ、それを人々に与えることのできる数少ないプロデューサーの一人でした。

マリオは写真家としても活躍しており、CDのカバー写真など、数多くの作品を残しています。中でも有名なのは、カマロンのCD『ラ・レジェンダ・デル・テイエンポ』のカバーなど。スペインのインディー・レーベル団体のディレクターも勤めていました。

私は個人的なお付き合いはありませんでしたが、見かければ必ず挨拶をしてくれる気持ちの良い人で、マリオはフラメンコ界の、今では残り少なくなった昔ながらの“顔”の一人でした。

数年前、マリオから直接頂いたホセ・エル・フランセスのCDライナーの仕事は、とても思い出深いものの一つです。一生懸命CDを聴いて、あれこれ書き直して提出して、マリオに「これは君にしか書けない文章だね」といって喜んでいただいたときは本当に嬉しかったです。

一週間ほど前、私の夫がたまたま仕事の用事で彼の携帯に電話をしました。彼と話すのは半年振りぐらいだったのですが、その声の弱弱しさがとても気になりました。私たちは病状のことは、何も知らなかったのです。そして彼も何も言わず、いつもの通りのきちんとした対応でした。今週に入ってヌエボス・メディオスの別の担当者と話をしたら、マリオが電話に出たことをとても驚いていて、そこから、彼の深刻な病状が初めて読み取れました。そしてそれが、私たちのマリオとの最後の会話となってしまいました。

忘年60歳。上品な物腰。金髪に青い目。いたずらっ子のような笑顔。安らかに。

0 件のコメント:

コメントを投稿